うーーーむ。
なんで、こんなタイトルにしたのか。
忘れた。
スマナイ。
まあ、似ているのは間違いない。
両者とも受け皿になっている。
迷える子羊の。
(迷うのは良いことだ)
「欲」がある限り、どちらもなくならない。
「良い」ことをする欲求。
「悪い」ことをする欲求。
「良い」「悪い」って誰が決めるんだ。
どちらも「親分」だ。
で、決めたことを反するのはメチャ嫌がる。
反社は必要悪だ、とかは言わない。
けど、「グレーゾーン」がある限り、反社は存在する。
「グレーゾーン」に反社は、スパッと埋まってくれる。
オレが推奨?した風俗の「ソープランド」もグレーゾーン。
そもそも、人間の作った「法」そのものがグレーゾーン。
(すべてを法で縛れないし、そんなの人間じゃあない)
そう。
人間である、というコトは「宗教」であり「反社」である、
というコトなんです。
そうは言っても、宗教は「笑顔」で反社は「睨(にら)み」だ。
(基本的な話し。違う場合もある)
宗教は楽しいし、反社は怖い。
(一般論。傍からみたらどっちも怖いかもしれません)
そうではあるけど、冒頭で言ったようにどちらも「欲」が基本に
あり、人間の欲がある限りどちらも「看板」の種類が違うだけで
必要であり、無くてはならない。
まあ、現代社会はウマくできてて、社会は「宗教」「反社」と
上手に折り合いをつけている。
(ときどき、暴走する「宗教」「反社」もあるが)
オレは別に反「宗教」でも、「反社」受け入れタイプでもないけど、
どちらにも「依存」はしたくないと思っている。
が、「エロ動画」を視聴したりするのは「反社」の利益になり、
寺社の拝観料を払うのはもちろん「宗教」の利益となろう。
オレも人間だし、どちらとも関わっている。
それを忘れずにいようと思う。
つまり、
「わたしは、反社なんか知らなーい」とか「宗教なんて興味なーい」
などとは誰でも言えるが、実際はそんなことは「あり得ない」という
ことが言いたいのである。